【競馬のウラ話】競馬を知らない調教師たち…
先週に行われた札幌2歳Sは、相沢郁師&石川裕紀人騎手のブラックホールが勝利しました。相沢師は石川Jの騎乗に対して、「イライラして見ていた。全然うまく乗っていない。馬に力がある」とコメントしています。確かに4コーナーが怪しかったけど、これは前の各馬が外に動いたことがあります。
石川騎手は若手でもしっかりと乗れる実力派です。対する相沢師は、競馬を知らず、的外れなコメントを出す調教師。ハンデなんかに関しても、当たり前の数字が出ても、「ハンデが重すぎる!」とメディアを通してJRAに文句を言ったりします。
ま、競馬を知らない調教師はわんさといます。馬という生き物に関しては間違いなくスペシャリストで、“競馬という競技のことがわかっていない”というのが適切な表現でしょうか。
競馬の世界で調教師は“王様”です。おかしなところがあったとしても、誰も注意することはできません。そして、間違った考えを持ったまま、どんどん増長していきます。
競馬予想における重要なファクターである“展開”は、馬の気性、トモの強さの問題などから自然に生まれる部分があります。しかし、大きいのは調教師の意識、あと、騎手の意識です。
40年とか50年の昔、もちろん昭和の時代、調教師や騎手は“展開”という概念をしっかりとは持っていなかったそうです。まあ、馬場が違いましたし、馬の実力差が大きかったでしょうし、要因はいろいろとあるでしょう。でも、何だか信じられないですね。
展開が重要であるという概念が広がっていった背景には、競馬新聞や競馬雑誌の存在があったようです。これは私が競馬を始める前の時代のことで、師匠である高橋研氏に確認を取りました。
昔の競馬新聞は、予想の印は打たれていても、コメントはあまり載っていなかったそうです。でも、だんだんと予想コメントが書かれるようになり、競馬雑誌も発行されるようになりました。その時代に有名になったのが、故大川慶次郎氏です。
大川氏が展開のことを書き、あと、大井では「佐々木の予想」の佐々木洋祐氏、予想会社業界では高橋研氏が競馬理論を発信するようになりました。それで“展開”という言葉が広がったというのが実情のようです。なお、関係ない話ですが、大川氏は渋沢栄一のひ孫です。
またも話は逸れますが、昔は現役の調教師が競馬新聞紙上で予想を打っていました。隠すわけでなく馬柱に○○と調教師の名前があり、◎とか○を付けていたのです。
今では考えられないといえばそうですが、現在の新聞にも「このメンバーなら負けられない」とか「差し馬がそろってチャンス」とか「○○は強い」とか、ほとんど予想というコメントが出ていますけどね。
話を戻します。昔は調教師や騎手は展開のことをよくわかっていませんでした。そんな人たちが外部から展開の重要性を知らされたわけです。なので、展開を正しく理解できるかとなると、そうもいきません。
現代の競馬で調教師のコメントを見ても、おかしなものがたくさんあります。例えば前走で速めのペースで飛ばしてつかまった時、次走で調教師が「決め手がないから、もっと離して逃げないとダメ」とか言ったりします。そして、ガンガン飛ばし、バテてもっと負けるわけです。
こんなのもあります。逃げ馬がハイペースで飛ばし、苦しくなってバテたのにリードが利いて押し切る。そのレースではある差し馬が出走していて、伸びたのに届かなかった。そして、その差し馬の調教師は、次走で「前走は前残りの競馬だった」と的外れな分析をしたりするのです。
すると、次のレースでその差し馬は早めに動く可能性が強くなります。結果的にそれが正解になるケースももちろん出ますが、考え方としては間違っています。早めに動けば、どんな馬だって最後は鈍ります。展開を正しくわかっていないと、結果につなげることができません。
調教師が展開を理解していないと、競馬を予想する側の人間は大変です。「こうやって攻めれば好走できそうなのに、この調教師は違う作戦を取るだろう」とか、いちいち考えるのは面倒です。
しかも、一人一人の調教師で競馬に対する考え方や理解度は違うわけです。各調教師を理解し、どんな作戦を取るかも新聞などで確認する必要が出ます。そこに騎手や馬主も絡んできたりします。
さらに最近はJRAが“頭数を増やすこと”、“高配当馬券を出すこと”に精を出していて何ともやっかいです。それらをすることで短期的に見れば馬券の売り上げは上がるでしょうが、長い目で見れば“競馬は当たらない”となってファンは離れます。
最近は競艇が人気があります。6艇の争いでわかりやすく、とりあえず当たりそうにはなるので楽しめます。まあ、大量CMの効果もあるでしょうけど。JRAの人間たちは、まるで“朝三暮四の猿”です。
話はどんどん逸れていきます。お昼のツイートで、「相沢郁師は、当たり前の数字が出ても『ハンデが重すぎる』と文句を言う」と書きました。でも、これは相沢師に限ったことではありません。
ハンデというものは、ほぼ機械的に決められています。想定からズレることはあまりなく、そもそも「ハンデがどうこう」と言うのはおかしな話です。
「このハンデは妥当だね」とか発言する調教師が多いですが、“妥当”も何もありません。この言葉を発した時点で、その調教師は何もわかっていないことになります。
そもそも、どんなハンデがつくかは何千、何万というケースを見てきているわけで、機械的に決められていることがわからないのは、ちょっと問題がありますね。問題があるというか、本当にヤバイです。
調教師、騎手、JRAと問題ある人たちが、競馬を作り、展開を作っているのですから恐ろしいです。現在はブログで東西の後半4レース+裏のメインの予想を出しています。先々週、先週と難解なレースばかりで、正直なところ「すべて外れたらどうしよう」と思っていました。
運も良かったか、4日とも狙った穴馬が好走してくれるケースが多くあって、結果が出てくれました。今週から中山競馬と阪神競馬が始まります。やっぱり難しいレースが多くなりそうですが、頑張って予想します。苦しくもありますが、競馬は楽しいし、予想は楽しいので。
…まったくまとまっていなくて読みづらいコラムになってすいません。あと、きちんと校正もしていません。面倒だっただけです。ご容赦ください。
石川騎手は若手でもしっかりと乗れる実力派です。対する相沢師は、競馬を知らず、的外れなコメントを出す調教師。ハンデなんかに関しても、当たり前の数字が出ても、「ハンデが重すぎる!」とメディアを通してJRAに文句を言ったりします。
ま、競馬を知らない調教師はわんさといます。馬という生き物に関しては間違いなくスペシャリストで、“競馬という競技のことがわかっていない”というのが適切な表現でしょうか。
競馬の世界で調教師は“王様”です。おかしなところがあったとしても、誰も注意することはできません。そして、間違った考えを持ったまま、どんどん増長していきます。
競馬予想における重要なファクターである“展開”は、馬の気性、トモの強さの問題などから自然に生まれる部分があります。しかし、大きいのは調教師の意識、あと、騎手の意識です。
40年とか50年の昔、もちろん昭和の時代、調教師や騎手は“展開”という概念をしっかりとは持っていなかったそうです。まあ、馬場が違いましたし、馬の実力差が大きかったでしょうし、要因はいろいろとあるでしょう。でも、何だか信じられないですね。
展開が重要であるという概念が広がっていった背景には、競馬新聞や競馬雑誌の存在があったようです。これは私が競馬を始める前の時代のことで、師匠である高橋研氏に確認を取りました。
昔の競馬新聞は、予想の印は打たれていても、コメントはあまり載っていなかったそうです。でも、だんだんと予想コメントが書かれるようになり、競馬雑誌も発行されるようになりました。その時代に有名になったのが、故大川慶次郎氏です。
大川氏が展開のことを書き、あと、大井では「佐々木の予想」の佐々木洋祐氏、予想会社業界では高橋研氏が競馬理論を発信するようになりました。それで“展開”という言葉が広がったというのが実情のようです。なお、関係ない話ですが、大川氏は渋沢栄一のひ孫です。
またも話は逸れますが、昔は現役の調教師が競馬新聞紙上で予想を打っていました。隠すわけでなく馬柱に○○と調教師の名前があり、◎とか○を付けていたのです。
今では考えられないといえばそうですが、現在の新聞にも「このメンバーなら負けられない」とか「差し馬がそろってチャンス」とか「○○は強い」とか、ほとんど予想というコメントが出ていますけどね。
話を戻します。昔は調教師や騎手は展開のことをよくわかっていませんでした。そんな人たちが外部から展開の重要性を知らされたわけです。なので、展開を正しく理解できるかとなると、そうもいきません。
現代の競馬で調教師のコメントを見ても、おかしなものがたくさんあります。例えば前走で速めのペースで飛ばしてつかまった時、次走で調教師が「決め手がないから、もっと離して逃げないとダメ」とか言ったりします。そして、ガンガン飛ばし、バテてもっと負けるわけです。
こんなのもあります。逃げ馬がハイペースで飛ばし、苦しくなってバテたのにリードが利いて押し切る。そのレースではある差し馬が出走していて、伸びたのに届かなかった。そして、その差し馬の調教師は、次走で「前走は前残りの競馬だった」と的外れな分析をしたりするのです。
すると、次のレースでその差し馬は早めに動く可能性が強くなります。結果的にそれが正解になるケースももちろん出ますが、考え方としては間違っています。早めに動けば、どんな馬だって最後は鈍ります。展開を正しくわかっていないと、結果につなげることができません。
調教師が展開を理解していないと、競馬を予想する側の人間は大変です。「こうやって攻めれば好走できそうなのに、この調教師は違う作戦を取るだろう」とか、いちいち考えるのは面倒です。
しかも、一人一人の調教師で競馬に対する考え方や理解度は違うわけです。各調教師を理解し、どんな作戦を取るかも新聞などで確認する必要が出ます。そこに騎手や馬主も絡んできたりします。
さらに最近はJRAが“頭数を増やすこと”、“高配当馬券を出すこと”に精を出していて何ともやっかいです。それらをすることで短期的に見れば馬券の売り上げは上がるでしょうが、長い目で見れば“競馬は当たらない”となってファンは離れます。
最近は競艇が人気があります。6艇の争いでわかりやすく、とりあえず当たりそうにはなるので楽しめます。まあ、大量CMの効果もあるでしょうけど。JRAの人間たちは、まるで“朝三暮四の猿”です。
話はどんどん逸れていきます。お昼のツイートで、「相沢郁師は、当たり前の数字が出ても『ハンデが重すぎる』と文句を言う」と書きました。でも、これは相沢師に限ったことではありません。
ハンデというものは、ほぼ機械的に決められています。想定からズレることはあまりなく、そもそも「ハンデがどうこう」と言うのはおかしな話です。
「このハンデは妥当だね」とか発言する調教師が多いですが、“妥当”も何もありません。この言葉を発した時点で、その調教師は何もわかっていないことになります。
そもそも、どんなハンデがつくかは何千、何万というケースを見てきているわけで、機械的に決められていることがわからないのは、ちょっと問題がありますね。問題があるというか、本当にヤバイです。
調教師、騎手、JRAと問題ある人たちが、競馬を作り、展開を作っているのですから恐ろしいです。現在はブログで東西の後半4レース+裏のメインの予想を出しています。先々週、先週と難解なレースばかりで、正直なところ「すべて外れたらどうしよう」と思っていました。
運も良かったか、4日とも狙った穴馬が好走してくれるケースが多くあって、結果が出てくれました。今週から中山競馬と阪神競馬が始まります。やっぱり難しいレースが多くなりそうですが、頑張って予想します。苦しくもありますが、競馬は楽しいし、予想は楽しいので。
…まったくまとまっていなくて読みづらいコラムになってすいません。あと、きちんと校正もしていません。面倒だっただけです。ご容赦ください。